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大阪高等裁判所 昭和28年(ネ)954号 判決

控訴人(付帯被控訴人) 渡辺新右衛門

被控訴人(付帯控訴人) 康河亀

主文

控訴人(付帯被控訴人)は被控訴人(付帯控訴人)に対し金一七九万一、三〇〇円並びにこれに対する昭和三一年三月一五日以降右完済まで年五分の割合による金員を支払え。

被控訴人(付帯控訴人)のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じこれを一〇分し、その四を被控訴人(付帯控訴人)の負担とし、その六を控訴人(付帯被控訴人)の負担とする。

この判決は控訴人(付帯被控訴人)に対して金員の支払を命じた部分に限り、被控訴人(付帯控訴人)において金五〇万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

控訴人(付帯被控訴人、以下同じ)は「原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人(付帯控訴人以下同じ、)は控訴棄却の判決を求め、付帯控訴に基き「原判決中被控訴人勝訴の部分を次のとおり変更する。控訴人は被控訴人に対し金六、五〇〇万円並びに内金二、五〇〇万円に対する昭和三一年三月一五日以降、内金四、〇〇〇万円に対する昭和三五年六月八日以降右支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、控訴人は「本件付帯控訴を棄却する。」との判決を求めた。

当事者双方の主張証拠の提出援用認否は、

被控訴人において従前の主張の補充、控訴人の主張に対する陳述並びに付帯控訴の理由として、

大阪市北区梅田町七番地の一の土地一、三七〇坪の内八〇〇坪(原判決添付図面上イ、ロ、ハ、ニ、ホ、イを連ねる直線に囲まれた部分。以下本件土地と略称する。)の賃貸借契約は当初普通の木造二階建物の所有を目的としその後建築規制に関する法令の変更に応じ鉄骨鉄筋コンクリート造建物の所有を目的とするものであつたから借地法第二条により存続期間三〇年の賃貸借であつて契約所定の期間はこれを賃料据置期間とし、五年を経過した時期に当事者の協議によつて賃料額を改定し得べきものとする趣旨の約定である。

控訴人は本件賃貸借は臨時仮設的簡易建物の所有を目的とするものであるから右期間の定めは単なる賃料改定期間の趣旨ではなく、その満了により本件賃貸借が当然終了すべき本来の賃貸借存続期間であると主張し、その根拠の一として本件土地上における建築に関する各種法令上の規制を挙げるけれども、控訴人摘示の法令による建築規制はすべて当該市長の戦災跡の土地区画整理を容易ならしめることを目的とするものであるところ、大阪市においては区画整理の実施が渋滞し却つて市の発展復興の障碍ともなつたため一方においては仮設建物の名目で殆ど無条件的に建物建築を許可し、鉄骨鉄筋造の大建築物についてのみ復興院の許可を受けるベきこととする取扱であつた。しかしこのような大建築物といえどもそれが大阪市発展に寄与するものと認められるものについてはきわめて容易に右許可が与えられるのを例としたのであつて、この事実は本件土地中東寄りの地上において朴漢植が昭和二二年五月頃までに木造瓦葺二階建物四棟を建築竣工せしめている事実並びに当時大阪市内繁華街において旅館、飲食店その他商店舗として巨大な建物が相次いで建築せられた顕著な事実に徴しても明白である。昭和二三年七月時の政府が料理飲食店の営業禁止の措置を構じたのも飲食営業用巨大な建物の建築が激増し他の用途に充てるべき建物の建設資材の供給を阻害したために外ならなかつたのである。

被控訴人は本件賃貸借契約締結の一両日後頃本件土地現場に当事者双方立会の上土地の引渡を受けた。そして漸時各種建築資材を蒐集調達して昭和二三年四月頃から稗田長次郎及び金房為吉に依頼して本件土地の整地作業を行なわせるとともに、畑中組との間に本件地上に木造瓦葺二階建建物の建築請負契約を締結し、畑中組が右建築工事に着手したところ、控訴人が土地の使用を妨害するので、被控訴人は控訴人を相手方として仮処分を申請し、同年六月二日大阪地方裁判所が昭和二三年(ヨ)第七五号事件につき発した被控訴人の本件土地占有妨害禁止等の仮処分の執行をした。これに対し控訴人は朴漢植を借主とする本件土地の賃貸借を仮装し朴漢植と通じて、同人からの申請により同裁判所が同年(ヨ)第六五五号事件につき同年八月二六日に発した、相手方を被控訴人とする、本件土地に対する被控訴人の占有解除、執行吏による本件土地の保管並びに被控訴人の本件土地立入禁止等仮処分命令の執行によつて右両名共同して被控訴人の本件土地占有を妨害し、そのため被控訴人は止むなく既に着手していた前記建築工事を一応中止したが、なお右仮処分命令の当否を争いその取消を求めて係争中、建築基準法が施行せられるに至つたので同法所定の建築規制に従つて本件地上における建築設計計画を変更して鉄骨鉄筋コンクリート造建物の建築をすることに改めた。ところが控訴人は昭和二三年一二月二九日付で本件土地を梅田振興株式会社(以下梅田振興と略称する)に出資してその所有権を譲渡し、昭和二四年三月一〇日受付をもつて右土地を含む控訴人所有の梅田七番地の一の宅地一、三七〇坪八合から本件区域内の五〇〇坪を七番地の三として分割の登記をなし、次で同年四月三〇日右出資を原因とする所有権移転登記を経由した。その後昭和二六年一月八日朴漢植は前記昭和二三年(ヨ)第六五五号の仮処分執行を解放し、被控訴人は当該執行吏から本件土地の引渡を受けてその直接占有を回復し、前記変更にかかる建築計画に従い建築工事に取りかからうとしたところ、梅田振興がこれを妨害し本件土地の占有を侵奪したので、被控訴人は同裁判所に梅田振興を相手方とする仮処分を申請し、昭和二六年(ヨ)第一、四四〇号につき同裁判所が発した「本件土地の立入並びに同地上における工作物等建築禁止」の仮処分命令を執行し、資材の購入その他建築工事開始に関する諸般の準備を進め、昭和二八年六月頃から工事着手のため整地作業にとりかかつた。梅田振興は直接同社を相手方とする右仮処分の拘束を免れるために株式会社梅田ビルデイング(以下梅田ビルと略称する)を設立し、昭和二八年七月二七日梅田ビルと契約を締結して、梅田ビルのために前記梅田七番地の三の土地(前記のように登記簿上の面積は五〇〇坪、但し本件土地と略々同一の地域)につき賃料昭和三〇年三月末日までは一ケ月金一〇万円、爾後一ケ月金一〇〇万円、期間を三〇年とする賃借権を設定してその登記を経由し、梅田ビルは右賃貸借に基き梅田振興から本件土地の直接占有の移転を受けたと称し、株式会社竹中工務店(以下単に竹中工務店と略称する)との間に、本件地上における「梅田ビルデイング」と呼ぶ鉄骨鉄筋造高層建物の建築工事の請負契約を締結し、竹中工務店は右工事施行のため梅田ビルから移転を受けて本件土地を直接占有して右工事を開始した。当時なお被控訴人の梅田振興に対する前記昭和二六年(ヨ)第一、四四〇号仮処分命令は存続していたのであるが、竹中工務店が前記のように建築工事に取りかかつたので、被控訴人は梅田ビル及び竹中工務店に対する右仮処分命令の承継執行文の付与を求め、執行裁判所がこれを付与しない処分を争つて抗告した。その後被控訴人と竹中工務店外前記二社との間における本件土地の占有権の主張に関する粉争につき、右当事者等の間に昭和二九年二月二四日付をもつて示談が成立し、被控訴人は竹中工務店から示談金八〇〇万円の給付を受けて受領した。

控訴人は本件土地の貸主として、賃貸借契約に基く被控訴人の土地使用収益実現のために被控訴人に対し本件土地の引渡をなすべき義務があるに拘らず、上記のように一旦被控訴人に引渡した本件土地の占有を侵奪してこれを梅田振興、梅田ビル及び竹中工務店に転輾せしめ、更に土地の所有権をも梅田振興に譲渡したのであるが、昭和二九年四月末日頃に至るまでは本件土地は引続いて空地の状態に在つたのであるから、控訴人に賃貸借契約の本旨に従う誠意さえあれば本件土地の所有権及び占有を回復したうえ、右契約の履行として被控訴人に本件土地を引渡すことはなお可能であつたものと認められたに拘らずその手段を構ぜず、昭和二九年四月末日竹中工務店が前記のように建築工事に着手するに至つて遂に賃貸借に基き借主たる被控訴人に対し本件土地を引渡しその使用収益に委ねるべき控訴人の債務は履行することが不能に確定した。右不能はもとより債務者たる控訴人の責に帰すべきものであることは前記により明らかであり、被控訴人はこれにより本件土地の賃借権が昭和二九年四月末日当時において有したるべき価格相当の損害を蒙つたものである。

控訴人は被控訴人が竹中工務店外二社との間に締結した前記示談契約において本件土地の占有権を抛棄しているから、控訴人に本件賃貸借に基く土地引渡の不履行あるも被控訴人にその主張の如き損害は生じない旨主張するけれども、被控訴人は既に昭和三一年一一月一九日付のその準備書面に右示談に関する経緯を記載し同月二二日の本件口頭弁論期日において陳述しているのに対し、控訴人は爾後六年に亘る訴訟の経過において右事項に関し何等の主張もせず、弁論終結に近くなつて始めて右主張をしたのであるから、時機に遅くれた防禦方法として却下を求める。仮に却下せられないとしても、被控訴人と竹中工務店等との間の前記の粉争及び示談はもつぱら本件土地に対する占有権の帰属若しくはその効力に関するものであるから、控訴人と被控訴人の間に締結された本件土地賃貸借上の権利義務やこれに基く法律効果等に関し法律上何等の消長を及ぼすものではない。

そして本件土地は国鉄大阪駅の正面入口から南え僅か約一丁半離れた位置に在り大阪市内における最優良な場所であつて、昭和二二年秋頃から逐年昂騰を続けて昭和二九年四月末日頃当時における賃借権の価格は一坪金一五万円と評価するのを相当とするに至つたのである。そして右地価の昂騰は控訴人においても本件賃貸借契約を締結した当時から予見し得たものであるばかりでなく、本件土地を含む大阪駅前附近の地価の騰貴は裁判所にも顕著な事実であり、このような地価の昂騰に伴つてその賃借権の価格が騰貴していることも亦明白であるから、控訴人は被控訴人に対して本件土地の賃貸借契約につき前記履行不能に因り履行に代わる損害賠償として右評価額の割合による賃借土地中七〇〇坪に対する借地権の価格一億五、〇〇〇万円を支払うべき義務がある。そこで控訴人に対しその中金六、五〇〇万円並びに内金二、五〇〇万円に対する昭和三一年三月一五日以降、内金四、〇〇〇万円に対する昭和三五年六月八日以降右完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため付帯控訴に及ぶものである。

と述べた。〈立証省略〉

控訴人において、付帯控訴の理由に対する答弁並びに従前の主張の補充として、

控訴人がその所有する本件土地につき被控訴人を借主としてこれと賃貸借契約を締結し、当事者双方が同行して本件土地の状況を現地について見分した昭和二一年一〇月初旬頃には、本件土地並びにその周辺の戦災跡の空地は道路面までも含めてその上に約百数十戸にも及ぶ中国人、朝鮮人及び邦人等の闇市場店舗が雑然と密集し猥雑混乱をきわめており、控訴人等の右土地所有者がその所有権に基き正当に土地を任意支配することなど到底不可能であつたばかりでなく、敗戦直後の世相を反映して警察力を以てしてさえ前記闇商人等の跋扈を排し右土地附近の混乱状況を整理することは困難であつて、徒らにこれら土地不法占拠者のなすがままに放置する外ない状況であつたが、やがて占領軍の指令に基き所轄の曽根崎警察署が大阪駅前付近の闇市場の整理排除に乗り出した。そして目的達成のためには先ず前記中国人朝鮮人等に移転先を得させる必要があつたので、控訴人等土地所有者に対し協力を求め、その所有地の一部を右立退場所として提供しこれにつき改めて賃貸借契約を締結する等法律上正当な権限に基く正当な土地使用関係を設定することを慫慂斡旋した。控訴人としても当時の違法無秩序な混乱状態を脱して所有地の支配を回復する目的で、警察の右申出に応じ、先ず中国人闇市場の移転のためその立退先として同じく控訴人の所有地の中本件土地の東側に隣接する約八〇〇坪を華僑総会に賃貸することにし、次で朝鮮人闇商人の移転につき、その中の有力者である朝鮮人商友会理事長朴漢植と折衝中、被控訴人からも控訴人に対しその所有地賃借の申出があつたので控訴人は被控訴人に対し、一には治安維持上大阪駅前の闇市場の混乱を整理しようとする警察側の方針に協力し、一方では土地の不法占拠を排して自己所有の土地支配を回復しようとする控訴人の意図を明らかにして協力を求めたところ、被控訴人もこれを承諾したので、特にその趣旨の条項を加えて本件土地の賃貸借契約を締結したが、右移転の実施は前記朴漢植の協力に俟つのが適当と考えられたので昭和二一年一〇月一七日頃同人にその旨を伝え、現場において本件土地及び周辺の状況を見分したうえで、被控訴人は右賃借土地の一部分である一二九坪二合九勺を提供し、これと控訴人の方で所有地中右賃貸部分以外から提供する約七〇坪の土地を併わせて二〇〇坪を朝鮮人の移転先に充てることを約定した。しかしながら本件土地につき賃貸借契約を締結したとはいうものの、契約当時は前記のように附近一帯の土地は各国人により雑然と闇市場に不法占拠されて混乱をきわめ、各筆の土地間の境界も定かでなく、同年末頃から漸く闇商人が立退移転をするに至つて次第に道路や土地の区画も判明してきたのが実情であつて、土地所有者でさえ自ら土地を事実上占有支配していなかつたのであるから、賃貸借契約に基き賃借人たる被控訴人に本件土地を引渡すに由なかつた次第である。

ところで上記のように控訴人にとつては、所有地を不法占拠している朝鮮人闇商人全部の立退移転を実現することを唯一の動機として被控訴人と本件土地賃貸借契約を締結したのであり、しかも契約に際し右目的を明示しその実現のための特約条項までも定めたのである。これに対し被控訴人の主張によれば、前記特約に基く前記二〇〇坪に関する協定は朝鮮人闇商人の全戸数ではなくその中の一一戸だけの移転実現に協力する趣旨であつたとするのであるから、右特約事項については双方に意思の不合致が存し未だ有効な約定としては成立しなかつたものというべきであるに拘らず、控訴人において右特約の有効な成立を信じてなした本件土地賃貸借契約は、右特約が本件土地賃貸借に関して有する前記の意義に照らし法律行為の要素に錯誤があつたものとして無効といわなければならない。

仮に本件土地の賃貸借契約につき上記の錯誤が認められず有効であるとしても右契約は、これに基き貸主たる控訴人において貸借の目的とした本件土地八〇〇坪を借主たる被控訴人に未だ引渡さないうちに昭和二二年一月一八日に至り控訴人と被控訴人代理人金秉訓との合意によつて解除せられて消滅したものである。これより先朴漢植と被控訴人との間において、前記二〇〇坪の地域に移転せしめるべき朝鮮人商人の戸数に関し、朴はこれを二〇戸と主張し、被控訴人は一一戸の移転による土地使用のみを容認したに止まると主張して両者間に紛争を生じたので、地主を加えてその処理解決の折衝をすることを主たる目的として、右同日被控訴人側から金秉訓がその代理人となり被控訴人の甥康権平を伴つて控訴人の事務所に来訪し、朴漢植も同席し、右三者間において本件土地賃貸借に関聯する前記朝鮮人移転問題に付交渉したが遂に妥協点に達せず、席上金及び康両名は控訴人に対し「契約を取り止める」と言明し、控訴人は突嗟にこれを本件土地全部に付賃貸借契約を遡及的に解除消滅に帰せしめることを目的とする合意解約の申込と判断し、若しここで被控訴人との貸借が合意解約となれば再び土地所有者として地上の闇市場の撤去整理の問題や土地の支配回復に苦悩すべきことに思いをめぐらして内心困惑したけれども、敗戦直後の混乱した社会に勢威を振う朝鮮人を憚かり、合意解約も止むを得ないと考えて、右申込を承諾する旨の応答をしたものであつて、その際金の右申出の真意を疑うのを相当とする事情を何等存しなかつたし、金の右発言が本件土地賃貸借の合意解除の申込の趣旨でないなどとは控訴人の思いも及ばなかつたところである。したがつて本件土地賃貸借は右同日当事者の合意により解除せられたことは明らかである。

仮に前記交渉に関し被控訴人が金秉訓に授与した代理権の範囲が、朝鮮人の移転先に充てる筈の前記二〇〇坪の使用に関することがらにのみ限定せられ、本件土地八〇〇坪全部の賃貸借契約の存続若しくはその法律上の効果等に関聯する諸般の事務にまでは及んでいなかつたとしても、金秉訓は当初貸借の申込がなされた時以来本件賃貸借契約の締結、更にそれ以後に亘る本件土地に関する控訴人、被控訴人間の交渉の全過程を通じ、終始被控訴人の相談相手として関与しており、控訴人も金と被控訴人との右のような関係を熟知していたうえに、前記のように朴漢植との紛争に関し会談のため控訴人の事務所を訪れた金が、劈頭先ず控訴人に対し被控訴人が親しく自ら出向く筈であつたが支障のため金秉訓を代理人として差し向けたものであること、右代理委任状は持参しなかつたけれども右代理権限を証する趣旨で被控訴人の指示によつてその甥康権平を同伴した旨言明し、金の右説明によつて控訴人は本件土地全部の貸借に関する一切につき金秉訓が被控訴人を代理すべき正当な権限を有するものと信じたのであるし、しかも控訴人の右代理権に対する信頼は正当の事由に基くものというべきであるから、金が被控訴人の代理人として締結した本件土地全部の賃貸借解除の合意はその効力を生じたものといわなければならない。

以上いずれによつても被控訴人は本件土地につき初めから賃借権を有しなかつたことに帰するから本訴請求は失当である。

仮に本件賃貸借契約につき前記の無効事由の存在が認められず、前記合意解約の事実も亦認められないとしても、本件賃貸借契約において賃貸借の存続期間としてはこれを五年間と定めたのであるが、元来本件土地及びその周辺の地域は、昭和二一年九月四日戦災復興院告示第一二四号によつて「大阪都市計画復興土地区画整理地区」に指定せられたものであるところ、昭和二一年八月一五日施行の勅令第三八九号戦災都市における建築物の制限に関する件第二条により土地区画整理施行地区内においては同条所定の場合以外における地上建物の増改新築等は一切禁止せられ、また第三条により当該地方長官が建築を許可し得るのは一時的使用の目的に供せられる仮設建築物に限られているのであるから、借地法第二条にいう非堅固な普通の木造建物を本件地上に建築所有することは前記法令の制限に牴触して許されないことは客観的に明白なところであり、更に前記法令による制限とは別途に本件土地周辺の地域は既に昭和一一年四月九日、市街地建築物法施行規則第一一九条によつて地上に建物を建てる場合には防火建築物を建築することを要し、若し木造建物を建築する場合には唯臨時の目的に供用せられるべき仮設物に限るという制限の存する大阪府都市計画甲種防火地区に指定せられているのであるからこの点からしても、本件地上にいわゆる本建築というに値する通常の木造建物を建築所有することは許されないところであつて、以上の法令上の各種制限が存したことに徴すれば、本件賃貸借に基き被控訴人が地上に所有すべき目的建物が借地法第九条所定の臨時仮設の木造建物であつて、同法第二条にいう非堅固通常の木造家屋の建築所有を目的としたものでないことが明らかである。したがつて本件土地の賃貸借は借地法第九条にいう臨時仮設の建物所有のための一時使用を目的とするものであつて同法第二乃至第八条並びに第一一条の適用はなく、存続期間を五年間と定めた前記契約条項は有効で、本件賃貸借は昭和二六年一〇月六日限り(控訴代理人提出の昭和三〇年四月一五日付第一準備書面第四項に昭和二五年一〇月六日と記載せられているのは明らかに誤記と認められる。)期間満了によつて終了したものといわなければならない。

被控訴人は戦争終結直後から大阪市内において巨大な本格的木造建築が相次いで行なわれたと主張するけれども、これらの建築はすべて前記の法令上の制限に違反して建築せられたものに外ならない。もつとも土地所有者が他人によるこれらの不法建築を明示黙示に承諾した場合においては当該建築物の所有による土地の使用関係については借地法の規定が適用せられるべきものであるけれども、控訴人は本件土地の賃貸借につき借主たる被控訴人が本件土地上に通常の木造家屋を所有することを目的とすることにつき承諾したこともなく、被控訴人主張の地上建物の建設設計に同意を与えたこともなく、前記のようにもつぱら臨時仮設の木造建物の所有を目的として本件土地の使用を許したのであり、さればこそ賃貸借期間も五年間とすることを契約上明定して本件賃貸借が借地法第九条に該当するものであることを明白ならしめたのである。

そして控訴人所有の大阪市北区梅田七番地の一から昭和二四年三月一〇日分筆せられて登記簿上梅田七番地の三となつた被控訴人主張の五〇〇坪の土地は、控訴人渡辺修治及び渡辺新治の共有名義であつたところ、昭和二三年六月二五日代金を一坪に付金一万二、〇〇〇円の割合、合計金六〇〇万円で梅田振興に売り渡しその所有権移転登記手続をするに際し、買主の希望によつて手続形式上登記原因を同年一二月九日付出資として所有権移転登記を経由し、これによつて控訴人等右三名はこの土地に付実質上何等の権利をも有しないことになつたのであるが、右土地所有権譲渡につき登記を経た昭和二四年四月三〇日当時においても、本件土地上の建築については上記各種の制限が存し、木造家屋の所有を目的とし存続につき借地法上の保護を受けるべき賃借権は成立するに由ない状態にあつたことは取引上一般に認識せられ又認識せられるべきところであつたのであるから、控訴人が梅田振興に土地を譲渡したことに因つて被控訴人は本件土地を賃貸借契約に従い使用収益し得なくなりそのために損害を蒙つたとしても、その損害を算定するについては、その基準たるべき存続期間は約定の五年をもつてすべきであるし、右契約上の借地権の価格も借地法上の保護を受けるべきものとしてのそれではなくして、一時使用を目的とする臨時の借地権として評価するのを相当とし、被控訴人主張の損害額は右算定基準よりすれば高きに失し不当である。仮に本件賃貸借が五年を超えてなお存続し期間満了による終了は認められないとしても、被控訴人は昭和二九年二月二四日に自ら同日以降における本件土地の占有使用権を抛棄したから、同日以降の本件土地の不使用によつて被控訴人に何等か財産上の損失を生じたとしてもこれをもつて控訴人の債務不履行に基く損害ということはできない。

仮に被控訴人が控訴人の本件土地引渡債務の不履行によつて金八〇〇万円以上の損害を受けたとしても、被控訴人は本件土地上において「梅田ビル」の建築に着手した株式会社竹中工務店、梅田振興株式会社及び株式会社梅田ビルデイング等に対し本件土地の賃借権を有することを主張して抗争の挙句、竹中工務店から示談金として金八〇〇万円の交付を受けてこれを取得したから、既に右金額相当範囲内においては被控訴人主張の損害は填補されたものというべきであつて、本訴付帯請求は右金額の限度において理由がない。

仮に被控訴人の側に、控訴人から賠償すべき損害がなお残存するとしても、控訴人が本件賃貸借契約に基きその履行として被控訴人に本件土地の引渡をするためには、これに先立ち被控訴人において先ず前記朝鮮人闇商人の立退移転先の設定につき協力し右移転を実現せしめることを必須の要件とするものであつたのに拘らず、前記のように朴漢植との間に紛争を生じたまま妥協に至らなかつたために、本件賃貸借契約につき明示せられた動機が遂に実現せず、しかも当時の周囲の諸般の事情によつて当然本件賃貸借の合意解除の申込と解するほかない被控訴人側の態度、代理人の言明等によつて、右契約が既に合意解除せられたとの誤信を控訴人に誘起したこと、並びに右誤信に基き前記のように控訴人が本件土地を梅田振興にビルデイング建設用地として売却処分したことに原因するものである。(朝鮮人や中国人が社会生活上勢威を張つていた敗戦直後の世相に在つては被控訴人側の強い要望によつて一旦締結せられた本件賃貸借契約を控訴人側の都合や判断のみで、貸主の方から任意合意解約を云い出すようなことは到底思いも及ばないことがらであつたのである。)したがつて控訴人の引渡債務の履行不能は、被控訴人が重大な過失によつてその原因を与えたものというべく、右過失は右損害賠償につき斟酌せられなければならない。

原判決三枚目裏末行に「昭和二一年一月一八日」とあるのを「昭和二二年一月一八日」と訂正する。

と述べた。〈立証省略〉

以上の外原判決事実記載と同一であるからこれを引用する。

理由

第一、終戦後における係争土地及びその周辺の土地の状況並びに控訴人と被控訴人間の土地賃貸借契約の締結について。

控訴人がその所有する大阪市北区梅田七番地の一宅地一、三七〇坪の中原判決主文第一項掲記の部分八〇〇坪(以下本件土地と略称する)につき、昭和二一年一〇月七日被控訴人との間に、木造瓦葺建物の所有を目的とし、賃料一ケ月一坪に付金一五円の割合として六ケ月分先払いすること、存続期間は五年間として満了の際に協議のうえ更新することの約定で賃貸借契約を締結し、被控訴人から控訴人に対し右約定に基く六ケ月分賃料の支払として金七万二、〇〇〇円及び右契約締結に対する謝礼の意味を含むいわゆる権利金の交付として金八万円を支払つたことは当事者間に争がない。成立に争のない甲第一号証、当審における証人浦谷清の証言と控訴人本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合してその全部の成立が認められる甲第五号証、原審における証人朴漢植の第一回証言によつて成立の認められる乙第二号証並びに原審における証人朴漢植(第一、二回)、浦谷清、竹口武夫の各証言及び原告被告双方各本人尋問の結果、当審における証人坂本義教、浦谷清、岩井寿九郎及び朴漢植(第一、二回)の各証言、控訴人及び被控訴人各本人尋問の結果(上記各証言及び本人尋問の結果中後記の措信しない部分を除く)を総合すれば以下の事実が認められる。

太平洋戦争が終了して間もない昭和二〇年一〇月一一月頃から本件土地を含む大阪駅前附近一帯の戦災跡の空地は中国人や朝鮮人を主体とする闇商人が土地所有者の占有を侵奪して地上に露店やバラツク建の簡易な店舗を建て始め、瞬く間にその数を増加し、やがて私有地も道路も区別なく雑然と密集し、敗戦直後の社会生活の荒廃と世相の混沌の裡に、異様な頽廃と混雑と無秩序な状態を醸成し、しかも戦勝国民の勢威を藉る中国人、解放の勢に便乗し過去の抑圧に対する反動の波に乗る朝鮮人に対しては、警察力を以てする闇市取締や治安確保も実効を挙げず、いわんや附近土地所有者の私権に基く土地支配の回復の如きは全く不可能と思はれる状況であつたが、昭和二一年七月に至り占領軍大阪軍政部は大阪府知事に対し中国人や朝鮮人等による土地不法占拠を取締り闇市場の整理をすべき指令を発し、これに基き大阪駅前附近に蝟集する闇市場の処理については、管轄の曽根崎警察署が、先ず同年八月一日を期して一旦一定の期間右闇市を閉鎖し、路面占拠の闇市施設の撤去を強行して公道を回復確保し、次でなお営業を希望する者については、土地使用関係の秩序回復のため土地所有者との間に賃貸借等適法な土地使用関係を設定することにし、控訴人等附近の土地所有者に対しても協力を求めた。土地所有者としても警察の闇市場整理の右方針に協力し、闇市商人等との間に法律上の土地利用関係を設定する以外には、当時の第三者による実力支配を排し、自己の占有を回復し財産所有の実を挙げることが不可能であつた。そこで控訴人は同年九月末頃中国人闇商人の移転先に供用する目的で、梅田七番地の一の宅地及びその東側の隣接地に跨る約八〇〇坪(原判決添付図面イ、ホを結ぶ線以東の部分)を華僑総会に一括賃貸した。しかしその頃にも闇市場による控訴人所有の土地に対する不法占拠の状況はなお殆ど従前のとおりであり、華僑総会に賃貸した土地の西側の部分約八七〇坪も、その大半が主として朝鮮人闇商人によつて不法に占有を奪はれ、その建設したバラツク小屋によつて占拠せられていたので、控訴人は朝鮮人闇市の一定場所えの移転による土地占拠の整理とその法律的利用による財産支配の回復のため賃貸借契約を結ぶべき適当な相手方を求めていた。ところで控訴人の義兄浦谷清は、戦争当時から従軍不在中の控訴人のためその財産管理に任じ、戦後控訴人が復員帰郷した後は同人の相談相手となり、本件土地等梅田附近の所有地における闇市場の整理問題に関しても自ら適当な賃借人を物色していた折から、知人の坂本義教から当時大阪市内において太平ゴム工業株式会社を経営し且つ国際新聞社顧問や朝鮮人聯盟役員の地位に在つて在阪朝鮮人間の有力者であつた被控訴人を紹介せられた。被控訴人は敗戦後における日鮮融和の実現を目的として両国民間の識者により国際倶楽部を組織し、政治文化経済等各方面に亘る両国民の協力活動の機関たらしめ、その会員の利用親睦の場所を供するため大阪市内に国際会館と称する建物を建築しようとの計画を構想していた。そこで前記坂本の紹介によつて控訴人及び浦谷清と被控訴人が会談折衝した。被控訴人は前記会館建設のためその敷地として本件土地の賃借を求め、控訴人は被控訴人に本件土地を賃貸することを承諾し、あわせて被控訴人が自ら、現に本件土地を占拠して闇市を開設している朝鮮人を一ケ所に移転させることを期待するが故に賃貸借の申込を応諾したものであることを明示し、本件土地賃貸借契約を締結したうえは被控訴人の方で本件土地を不法占拠している朝鮮人の退去及び地上に現存する店舗その他の工作物等の撤去を遂行し、もつて本件土地を一旦任意の用途に使用し得る空地状態に還元すべきことを依頼し、被控訴人は右依頼を承諾して前記賃貸借契約を締結し、且つ闇市整理の右目的実現の方策として、梅田七番地の一の土地の中控訴人が未だ何人にも賃貸借していない東側の七〇坪と被控訴人の賃借地中の一三〇坪を併わせた二〇〇坪の土地に不法占拠の朝鮮人を一括収容することを約定した。このようにして貸借の目的たる土地としては梅田七番地の一の土地八〇〇坪と定められたけれども、契約締結に際し現地に即してその範囲を精密具体的に指示特定したわけではなく、大阪市当局から土地所有者に配布せられていた大阪府都市計画完成予定図の記載と関係当事者の現地の状況に対する概略の認識とに基いて大体の範囲が指示されたのに止まり、従つて朝鮮人の収容先に供用すべき前記二〇〇坪の位置も未だ具体的に特定されるに至らなかつた。そして同年一〇月一七日頃控訴人と被控訴人とは本件土地附近見分のため現場に臨んだけれども、その頃に至つてもなお公道の不法占拠の排除は完了せず、闇市場の施設物等が地上に密集混雑していることに変りがなく、本件土地と道路との境界さえ明確に弁別できない状態であつたから、貸借土地の区域の確認も、前記二〇〇坪の場所の指定も到底できず、唯朝鮮人商人の代表者の立場に在つて同年七月頃以来闇市整理の方針に基き、曽根崎警察署長から華僑総会の例に做い朝鮮人も土地所有者との間に適法な使用関係を設定するよう勧告を受けていた朝鮮人商友会会長朴漢植に会つて、控訴人がその所有の本件土地を被控訴人に賃貸したこと、控訴人と被控訴人との間においては、控訴人のために被控訴人がその名と尽力をもつて本件土地を不法占拠している朝鮮人の退去と地上の闇市場施設物の撤去による土地の整理、任意の使用が可能な空地状態の回復を遂行する旨の約定が成立していること、並びに右土地整理の目的のために貸借当事者双方から提供する総計二〇〇坪の土地を立退先のあてのない朝鮮人の一括収容先に充てることにした旨告げて協力を求め、同人もこれを承諾したので、更に同人に質して右二〇〇坪に収容すべき朝鮮人の数が一一世帯程度と推測せられることを知り得るに止まつた。このような状況であつたから貸主たる控訴人から借主たる被控訴人に対し本件土地の引渡はなされなかつた。

以上の事実が認められ、原審における証人李永文、康権平(第一、二回)、稗田長次郎、金秉訓の各証言、当審における証人稗田長次郎(第一、二回)、康中協の各証言並びに原審と当審における被控訴人本人尋問の結果の中、借主たる被控訴人が賃貸借契約締結当時本件土地の引渡を受けた旨の各証言及び本人の供述並びに本件土地及びその周辺において一帯に亘り道路、私有地の区別なく密集していた闇市施設が昭和二一年一〇月頃にはすでに整理せられていた旨の当審証人加老戸善雄の証言はいずれも措信することを得ず他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

第二、本件賃貸借契約の際成立した前記約定の解釈。

右認定の事実に照らすときは、本件土地の賃貸借に伴つて控訴人と被控訴人間に結ばれた前記約定の趣旨は、控訴人より被控訴人に対して、本件土地に対する控訴人の財産権に基く支配の回復実現のために、被控訴人が自らその名において、現に右土地を占拠している多数朝鮮人闇商人等の移転に付折衝し或は自己の賃借した本件土地の一部約一三〇坪を割いてこれにつき朝鮮人の代表者朴漢植と賃貸借(控訴人に対する関係では転貸借)を結び、右土地と別に控訴人から直接に賃貸する七〇坪を合はせた二〇〇坪の区域を立退先として本件土地から退去させ且つ地上所在のバラツク建店舗その他闇市場の各種施設物も撤去させ、もつて本件土地の空地状態を回復して被控訴人の直接占有下におき、これにより控訴人をして本件土地支配(間接占有)を回復させるべきことを委任し、被控訴人においてこれを引き受け、あわせて一旦右の如き土地支配の形態を実現し得た後は、爾後被控訴人の本件土地の直接占有並びに控訴人の間接占有関係をして本件賃貸借契約をもつてその権原とするものたらしめ、これをもつて賃貸借目的物の引渡しに代えるべきことを約定したものであつて、本件土地賃貸借に付随する委任関係を設定する趣旨と解するのを相当とする。しかしながら更に進んで右付随契的と本件賃貸借の存続との関係如何を考察するのに、控訴人が本件土地の所有者として実現を期待した終極的目的は、被控訴人の力を藉りて不法占拠の朝鮮人闇商人を本件土地から退去させて所定の場所に収容し且つ地上設置の工作物等を除却して客観的空地状態に還元すること自体にあつたわけではなく、飽くまでも本件土地につき賃貸借等による適法な使用関係を設定し、因つてその賃料収益の取得をする等法律的な財産利用を実現するにあつたことは、原審及び当審における証人浦谷清の各証言及び控訴人本人尋問の結果によつて明らかであるから、もとより賃貸借契約の方が主たる地位に在るものであつて、右付随契約は本件賃貸借成立当時の前記の如き特殊な社会事情に即応して賃貸借本来の内容や目的の実現を可能ならしめるための手段方法を定めたものであつて、賃貸借に従たる地位にあるものと解せられる。右付随契約の履行として、被控訴人が自らの力によつて土地不法占拠の朝鮮人闇商人の退去を実現するまでは本件賃貸借契約の効力を停止するとか、若しくは相当の時期までに右土地整理を実現し得ないときは一旦効力を生じた本件賃貸借契約も当然その効力を失うべきもの、というまでの趣旨とは解せられないし、そのように解するのを相当と認めしめるような何等の証拠資料もない。

第三、本件賃貸借契約における五年の存続期間を定めた条項の趣旨。

前記第一に記載したように本件賃貸借契約に存続期間を五年間と定める旨の条項の存することは当事者間に争がないけれども、当審における証人浦谷清の証言と控訴人本人尋問の結果によれば本件賃貸借契約締結の当時は戦後の混乱期で経済の変動がきわめて急激且つ顕著であつたために、土地の使用関係を設定するについても、当事者双方の権利義務の具体的内容を長期に亘つて固定することが不可能でありまた不合理でもあると考えられたので、一応五年の期間を定めてその満了の都度その際の社会経済事情等客観的条件を斟酌して、賃料額等当事者間の具体的賃貸借関係を合理的に定めてゆく趣旨であつたことが認められ、契約にあたり貸主たる控訴人としては五年経過後の本件土地利用に際し、すでに或る程度の予定計画を有し、五年経過後は必ず本件土地の返還を受けるべきことを期待し、また借主たる被控訴人としては本件土地は五年間使用し得ればそれで賃貸借の目的は達成し得べく、したがつて五年の経過とともにこれを貸主に返還する予定のもとに、特に期間を限定して本件賃貸借契約を締結したものと認めるべき何等の証拠もない。もつとも本件土地における建物建設につき控訴人主張の各種行政法令による規制措置が存したことは、当審における鑑定人中西兵二及び勝清一の各第一、二回鑑定の結果、鑑定人山根恭治郎及び小出憲の各鑑定の結果当審における証人浦谷清の証言、鑑定証人山根恭治郎及び小出憲の各証言並びに控訴人、被控訴人各本人尋問の結果(但し被控訴本人の供述中前記及び後記の措信しないものを除く)と弁論の全趣旨を総合して明らかであるけれども、このような行政法令上の制限禁止は、私法の任意法規とは異り、もつぱら公益の維持実現を目的とする強行的公法であるから、これをもつて本件土地賃貸借契約に関する当事者の意思を推測したり補充したりすることはできないし、右契約をこれら行政法令の趣旨目的に随つて解釈すべき理由もなく、契約内容がこれらの法令の趣旨と牴触する事項を目的とするからといつて、その故に私法上も直ちに無効とせられるべきではなく、更にまた本件契約締結にあたり控訴人及び被控訴人双方が右行政法令を知悉していたため、私法上の行為たる本件契約についてもその内容を右法令の趣旨に従つて決定したという事実も亦これを認めるに足りる証拠はない。原審及び当審における控訴人本人尋問の結果の中には、前記行政法令の規制の故に、本件土地を含む周辺の土地については一般的に五年を超えてなお存続するような建築物を建てることができないことは客観的に明白であつたから五年間さえ存続すれば土地利用の目的を完全に達し得る程度の仮設建築物の所有のためにのみ、一時的短期の賃貸借をする趣旨であつた、旨の供述が存するけれども、右供述は弁論の全趣旨に照らして措信することを得ない。

したがつて本件賃貸借は普通の建築所有を目的として締結せられた土地の賃貸借契約と認めるべきものであつて、借地法第二条によりその存続期間は三〇年である。

五年の約定期間の満了により賃貸借が終了した旨の控訴人の主張は理由がない。

第四、賃貸借契約締結後における本件土地使用の状況。

前記甲第五号証、原審における証人朴漢植の第一回証言によつて成立の認められる乙第二号証、原審における証人朴漢植の第一、二回証言、当審における証人朴漢植の第一、二回証言並びに原審と当審における控訴人及び被控訴人各本人尋問の結果(上記証言及び本人尋問の結果中前記及び後記の措信ない部分を除く)を総合すれば次の事実を認めることができる。

契約締結後の調査によつて本件地上から前記の二〇〇坪に収容すべき朝鮮人の数は当初予想した一一世帯を上まわり二〇世帯であることが判明し朴漢植は同年一〇月末頃二〇〇坪地上に二〇世帯を収容すべき建物の建築許可の申請をするにつき控訴人と被控訴人に土地使用承諾書の作成交付を求めたところ、被控訴人の方では収容人員が多くなればそれだけ将来立退の場合に立退料の支払等の負担が増大することになるのを主な理由に収容世帯の増加に異議を述べて土地使用の承諾を拒否し、その後暫く朴漢植と被控訴人間に交渉が続けられたが解決に至らなかつたため朴の提案により土地所有者である控訴人をも加えて協議することになり、昭和二二年一月一八日同市北区永楽町の控訴人事務所において控訴人、朴漢植並びに被控訴人側から出向いて来た被控訴人の甥康権平と金秉訓とが会合し、劈頭金秉訓は被控訴人の代理人として来訪した旨明言して会談に入り、朴漢植から金及び康に対し重ねて二〇世帯を二〇〇坪に収容することにつき被控訴人側の承認を求め、控訴人もたとえ収容数が増加しても収容先として供用すべき坪数には変化のないことを説いてその譲歩を求めて両者の間を斡旋し、会談はもつぱら二〇世帯収容の許否に終始したが、被控訴人側で最後まで一一世帯の数に固執して二〇世帯の収容には同意せず、遂には金は飽迄二〇世帯を収容するということであれば土地はいらないと明言して席を立つに至つたため、収容世帯数をめぐる前記紛争の経過に鑑み、かねて被控訴人の力による不法占拠者の退去、本件土地に対する財産的支配の回復の実現に危懼を抱き、早急な土地整理の実施に焦慮していた控訴人は、突嗟に金の右発言を被控訴人の代理人金秉訓による本件土地賃貸借契約解約の申込と判断して、即座に金に対し止むを得ない旨答え、これをもつて承諾の意思表示をしたものとし、よつて右賃貸借契約は右合意解除により終了したものとして、同月二〇日頃本件土地中の東寄りに位置し、前記華僑総会に賃貸した八〇〇坪の西端に接する部分、約二〇〇坪(原判決添付図面中C、D及びBの南側半分の部分の土地)の土地を、次いで同年二月上旬頃右二〇〇坪に接続する約一二〇坪の土地(右図面中Bの北半分とAの部分)を、朴漢植に各賃貸し、朴漢植は同年一月末頃から先ず右C、Dの部分から始めて順次A、B地上に亘り、朝鮮人を収容すべき木造家屋の建設に着手し、更に同年四月初に本件土地の西側の部分約五五〇坪を右建築工事材料置場、木材の切り込み場その他建築工事の便に供することを目的として朴漢植が控訴人から使用貸借し、朴は現実に右土地部分を占有して右用途に使用するに至つた。

以上の事実が認められ、原審における証人康権平の第一、二回証言、証人金秉訓及び稗田長次郎の各証言及び原告本人尋問の結果並びに当審における証人康中協の証言及び被控訴人本人尋問の結果中右認定に牴触する部分は措信し得ず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

第五、控訴人主張の本件賃貸借契約合意解除の成否。

右の第四において認定した事実の経過によれば、金秉訓が会談の席上でなした「土地は要らない」旨の発言を捉えて本件土地賃貸借契約の即時無条件の解約の意思表示をしたものとは到底解することを得ない。蓋し前記認定の会談の経過によれば、収容すべき朝鮮人世帯数を一一世帯とするか二〇世帯とするかということだけが当時の唯一の争点をなしていたのであり、しかも協議の結果被控訴人側の意に反して二〇世帯を収容することに決定したわけでもなく、当日の会合に出席した何人といえども、自己の意思のみによつて最終的にそのような決定を下すべき地位に立つ者はなかつたのであるから、「飽迄二〇世帯を収容するということであれば土地は要らない」との言葉の意味も、当然被控訴人において終始固執していた二〇世帯収容には不同意という意向を強調する趣旨にすぎないと解するのが相当と認められるし、原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果の一部と弁論の全趣旨を総合すれば、金秉訓が右発言をするにつき、被控訴人のために本件賃貸借契約全部の終了を目的とする契約を代理する意思は毛頭有しなかつたことが明らかであるから、右発言に対して控訴人の方で賃貸借合意解除の意思をもつて解約の申込を承諾する旨の意思表示をしたとしても、解約の合意が成立したものとすることはできない。原審における証人朴漢植の第一、二回証言及び被告本人尋問の結果並びに当審における証人朴漢植の第一乃至第三回証言及び控訴人本人尋問の結果の中右認定に牴触する部分はいずれも措信し得ない。

本件土地賃貸借契約が昭和二二年一月一八日合意解除により終了している旨の控訴人の主張は理由がない。

第六、法律行為の要素に錯誤のあつたことを理由とする控訴人の本件土地賃貸借契約無効の主張について。

前記第一、第二及び第四において認定したように、契約締結に際して控訴人は被控訴人に対し本件賃貸借をするに至つた動機を明示し、被控訴人もこれを了承して控訴人に対して、被控訴人の名において自らの尽力により本件土地を不法占拠している朝鮮人闇商人を所定の二〇〇坪の土地に移転せしむべきことを約したけれども、右約定をした当時には未だ具体的収容人数までは当事者に確知せられていなかつた(従つて約定の内容としても具体的収容数についてまでは何等定めるところがなかつたことが前記甲第一号証によつて認められる)のであり、契約締結後数日を経て、朴漢植に質して収容を必要とする人数は略一一世帯であることを推測し得たにすぎない状況であつたのであるから、更にその後に至つて始めて二〇世帯を収容する必要のあることが判明し、被控訴人において立退料負担の増大等の考慮から不安の念を生じたため前記紛争を生じ、惹いては控訴人の所期の目的達成が渋滞するに至つたからといつて、本件賃貸借契約の締結に際して控訴人が表示した動機として、法律行為の要素と認められることがらにつき、錯誤が存したものと認めることを得ないことは明らかであり、その他右契約につき意思表示上の瑕疵の存したことを認めるべき証拠はない。

本件賃貸借契約が錯誤に因り始めから無効であるとする控訴人の主張も亦理由がない。

第七、本件賃貸借契約に基く目的土地の引渡義務履行の形式について。

前記第三、第五及び第六において説示したとおり本件土地賃貸借契約については、その存続期間は三〇年と認められ、合意解除の事実は存せず、その成立過程において意思表示の瑕疵があつたものと認めることもできないところ、他に右契約の効力発生障碍事実、成立後の効力消滅原因たる事実の存在することについては控訴人の主張立証をなさないところであるから、控訴人は賃貸借契約に基き、被控訴人に本件土地の使用収益を可能ならしめるため、右契約の履行として被控訴人に本件土地を引渡すべき義務があるものといわなければならないけれども、前記第二記載の如き付随契約の趣旨によつて、本件土地上の朝鮮人の退去並びに同地上現存の物的施設の撤去による土地整理の遂行実現が、なお事実上被控訴人の名においてする尽力によつて可能と認められる状況が存続する以上は、通常の場合の賃貸借において貸主が借主に対してなす目的物の引渡と同一態様の引渡ということは本件貸借に関しては初めから予想せられず、唯被控訴人が自ら朝鮮人の立退と収容を遂行することによつてのみ右引渡と同一の結果を生ぜしめうるものといわなければならない。しかしながら前記第二に説示した付随契約と賃貸借契約の関聯よりすれば、本件土地賃貸借契約に基く土地の引渡は必ずしも前記付随契約の定めるところによつてのみ実現せられるべきものとは解せられないのであつて、占有移転の経路の如何はこれを問はず、若し前記付随契約に定める以外の原因によつて、貸主たる控訴人において現に本件土地の占有を回復することを得た場合又は回復することが社会観念上可能と認められる場合には、通常の場合の賃貸目的物の引渡と同様控訴人から自らその回復した本件土地の占有を被控訴人に移転して引渡をなすべきものであることは、本件契約の本旨に照らし当然の事理と認められる。唯引渡義務の履行期との関聯において考えれば、本件賃貸借契約及び付随契約の前記のような趣旨によつて、前記委任に基き被控訴人の手による本件土地占有の回復が可能な限りは先ず被控訴人の右委任履行の結果の実現の時をもつて引渡の履行期となし、右委任の履行が期待し得なくなり控訴人自らが本件土地占有を被控訴人に移転して引渡を実現すべき場合には、控訴人が自ら一旦本件土地の占有を回復して更にこれを被控訴人に移転することが客観的に可能と認められる時期をもつて引渡の履行期と定めたものと解するのが相当である。ところが成立に争のない乙第一号証の二と乙第一号証の一中の郵便局作成の部分及び当審における被控訴人本人尋問の結果の一部と弁諸の全趣旨によつて成立の認められる乙第一号証の一の爾余の部分によれば、控訴人は被控訴人に対する昭和二二年三月三一日付書留内容証明郵便をもつて、被控訴人が前記第四記載のように収容すべき朝鮮人世帯数につき自説を固執して譲らないために、かねて念願の本件土地整理の推進は停滞し、早急な目的実現は到底不可能と認められるに至り、もはや交渉による解決は期待できないから被控訴人との交渉を終結し、前払い済みの賃料も返還して控訴人、被控訴人間の本件土地に関する従前の諸関係一切を解消する旨通告し右書面は同年四月二日被控訴人に到達したことが認められ、右通告はその内容において、少くとも前記付随契約をもつてなした被控訴人に対する委任解除の意思表示たる趣旨を含むものと認められるから、右通告によつて右委任関係は同年四月三日以後終了したものといわなければならない。しかしながらこの委任関係と本件賃貸借契約との前記第二に説明した如き関係からすれば、右委任関係の消滅は賃貸借契約の存続につき些かの消長をも及ぼさないものと解せられ、たかだか賃貸借契約に基く貸主たる控訴人の目的土地引渡義務の履行方法に関する特約が失効したというに止まるから、爾後は唯通常の場合と同じく貸主たる控訴人において被控訴人に対し、本件土地の占有を引渡すべき義務があるという関係に帰するものといわなければならない。

第八、控訴人の本件土地占有の回復、その移転及びこれに関する紛争。

朴漢植が独立して控訴人から先ず本件土地の東側の土地二〇〇坪、続いてその西側の部分約一二〇坪を賃貸借し、更に本件土地の中の五五〇坪を無償で借り受け、地上に建物を建築したことは前記第四に認定したとおりであるが、原審における証人竹口武夫の証言、原審における証人朴漢植の第二回証言、当審における証人朴漢植の第一回証言と控訴人本人尋問の結果(但し上記証言及び本人尋問の結果の中前記及び後記の措信しない部分を除く)によれば、朴漢植は昭和二二年一〇月頃までには前記二〇〇坪地上に二四、五棟総数三五、六戸、前記一二〇坪地上に一棟の木造建物を建設し了えたのであるが、その建築の進捗につれて立退先のない本件土地上の朝鮮人を逐次これに移転せしめ結局二〇世帯を収容し、それ以外の朝鮮人も前記の警察による闇市場閉鎖措置の反覆強行と朴漢植の指導斡旋により次第に本件土地から退去し、昭和二三年三、四月頃までには本件土地中前記五五〇坪の部分附近は略その全面に亘り空地に近い状態を回復し得て、控訴人はその頃本件土地の周囲に板囲いを施していたことが認められ、原審における証人李永文、金秉訓、稗田長次郎、康権平(第一、二回)の各証言及び原告本人尋問の結果並びに当審における証人稗田長次郎(第一乃至第三回)、康中協の各証言及び被控訴人本人尋問の結果の中、朴漢植が本件土地の東側地上に建物を建設した時期及びその数に関し、右認定に反する部分は措信せず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。右認定の事実によれば本件土地に対する朝鮮人闇商人による不法占拠は、遅くとも昭和二三年四月末頃に至つて解消し、これに代わつて朴漢植がその東寄りの約二五〇坪の部分は賃貸借契約に基き、爾余の五五〇坪の部分については前記使用貸借を権原として、適法にこれを直接占有し、これによつて控訴人が本件土地の間接占有を取得したものというべきである。ところで成立に争のない乙第七号証、当審における証人朴漢植の第一、二回証言、当審における証人稗田長次郎の第二、三回証言(但し前記及び後記の信用しない部分を除く)及び控訴人本人尋問の結果(但し前記の信用しない部分を除く)によれば、昭和二三年五月頃になつて被控訴人の方では人夫数名を本件土地に入れて建築工事の準備として整地作業を行わせ、地上に国際会館建設用地と表示した標柱を建てたが、朴漢植において被控訴人の本件土地の占有を拒み建築工事の実施を事実上排除したため、被控訴人は控訴人を債務者として大阪地方裁判所に仮処分命令を申請し、同裁判所は右申請に基く同年(ヨ)第三九〇号事件につき同年六月八日付をもつて控訴人に対し、本件土地周辺に板囲いを設置する等により、被控訴人が本件土地においてする建築の妨害をすることを禁止する旨の仮処分命令を発したが、本件土地を直接占有するものは前記のように朴漢植であつて控訴人でないために、右仮処分によつても本件土地を占有して地上に建築工事を進めんとする目的は全くこれを達することを得ず、現実に建築工事に着手するにも至らなかつたのであつて、依然朴漢植がその占有を継続していたことが認められる。もつとも成立に争のない甲第一一号証の一、二及び乙第八号証によれば、同年八月に至り朴漢植は被控訴人を債務者として同裁判所に仮処分命令を申請し、同裁判所は右申請に基き同年(ヨ)第六五五号事件につき、同月二六日付をもつて被控訴人に対し、本件土地に対する被控訴人の占有を解除して執行吏に保管させる、被控訴人の本件土地立入を禁止する、旨の仮処分命令を発し、右仮処分命令は当時執行せられ、その後昭和二五年一二月二八日付の朴の申請によつて右仮処分の執行が解除せられたことが認められるけれども、原審における証人稗田長次郎の証言、証人朴漢植の第一、二回証言、当審における証人朴漢植の第一、二回証言、証人稗田長次郎の第一乃至第三回証言、原審及び当審における控訴人及び被控訴人各本人尋問の結果(但し上記各証言及び各本人尋問の結果の中前記及び後記の措信しない部分を除く)を総合すれば、被控訴人は前記認定のように昭和二三年五月頃本件土地を整地して標柱を樹てたほかには、同年八月の(ヨ)第六五五号仮処分発令の頃までの数ケ月間に本件土地において建築工事はもとより、その準備作業と目し得べき行為さえ何等なさなかつたことが推認せられるから、仮処分命令の前記の如き内容とその執行があつた事実を以つて直ちに、遅くとも右仮処分当時には本件土地の占有が被控訴人の手にあつたものと断定し難く、却つて弁論の全趣旨によれば、朴漢植は当時もなお本件土地の占有を失つていなかつたけれども、前記の地均し作業や標柱設置等の事蹟に照らして、被控訴人が本件地上において再び建築工事を強行するに至る虞あるものとし、これに対処し、自己の占有を維持確保するための予防手段として、被控訴人に対する仮処分の申請をなしたものであり、右仮処分命令が発せられこれを執行するについても、もつぱら被控訴人の前記の地均し後の標柱設置の事実のみを指して、解除せられるべき被控訴人の具体的占有形態ありとしたものであつたことが推認せられる。他に朴漢植の本件土地に対する占有に関し前記認定を覆えすに足りる証拠はない。

次に本件土地は元登記簿上の表示によれば、大阪市北区梅田七番地の一、宅地一、三七〇坪八合と表示せられていた土地の中西寄りの部分約八〇〇坪であるが、七番地の一の右土地は宅地八七〇坪八合と五〇〇坪の二筆に分割せられ、その五〇〇坪の部分は昭和二四年三月一〇日付を以つて梅田七番地の三として分筆登記せられ、控訴人外二名の共有名義とせられていたことは当事者間に争がなく、前記甲第五号証、乙第七及び第八号証、いずれも成立に争のない乙第六、第一〇号証及び甲第八号証並びに当審における証人浦谷清の証言、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果(前記措信しない部分を除く)によれば、右の登記簿の記載上五〇〇坪という土地は実測五〇〇、〇五二五坪であり、現地についていえば、その範囲は朴漢植が控訴人から使用貸借していた前記五五〇坪の部分に該当する土地であるが、控訴人等右土地の共有者は、これを昭和二三年六月二五日付の契約によつて代金を一坪に付金一万二、〇〇〇円の割合による六〇〇万円で梅田振興株式会社(以下梅田振興と略称する)に売渡し同会社がその所有権を取得したことが認められ、右認定に反する証拠はなく、右土地に付昭和二四年四月三〇日受付第一、五七四六号により昭和二三年一二月二九日付出資を原因として梅田振興に所有権移転登記を経由したことは当事者間に争がない。そして以上の当事者間に争のない事実、右認定の事実並びに成立に争のない乙第六号証及び原審における証人朴漢植の第二回証言(前記措信しない部分を除く)と弁論の全趣旨を総合すれば、朴漢植は前記の昭和二三年(ヨ)第六五五号仮処分命令を執行した同年八月末頃から同年一一月末頃までの間において、本件土地中殆ど空地に近い状態にある右五五〇坪の部分の直接占有を確定的に控訴人に返還し、よつて朴漢植の右土地支配は事実上完全に消滅し、次で控訴人は遅くとも前記登記を経由した昭和二四年四月三〇日頃までには右五五〇坪の土地を梅田振興に引渡し、爾後梅田振興においてこれを直接占有し(もつとも大阪駅前所在の第一生命ビルの建築工事を請負つた竹中工務店に対し、右建築資材等の置場並びに現場事務所等仮設物設置の用地として一時的に右土地を賃貸して引渡しその間は間接占有をしていた)たものであることを推認することができ、成立に争のない甲第六号証(被控訴人の申請に基く大阪地方裁判所昭和二八年(ヨ)第三四五〇号仮処分申請事件につき同裁判所がした申請却下の決定に対する抗告裁判所の決定正本)中に示された、梅田振興が昭和二六年九月一日頃被控訴人の有していた本件土地に対する占有を侵奪した旨の事実認定の部分は、当裁判所が前記事実認定に供した各証拠並びに右認定の事実と比照して採用し得ないところであり、他に右事実認定を覆えすに足りる証拠がない。

次に成立に争のない甲第一三及び第一四号証、前記甲第八及び乙第六号証、前記甲第六号証中前記採用しない部分を除くその余の記載部分並びに原審と当審における控訴人本人尋問の結果(前記及び後記の措信しない部分を除く)と弁論の全趣旨を総合すれば左の事実が認められる。

梅田振興はその後昭和二八年七月一八日借主を株式会社梅田ビルデイング(以下梅田ビルと略称する)として本件土地中の前記五五〇坪の部分を、賃料昭和三〇年三月末日までは一ケ月金一〇万円、昭和三〇年四月一日以降は一ケ月金一〇〇万円、毎月末日払い、存続期間満三〇年と定めた建物所有を目的とする賃貸借契約を締結して右土地を梅田ビルに引渡し、同月二七日右賃借権設定登記を経由し、右同日頃梅田ビルは株式会社竹中工務店(以下竹中工務店と略称する)を請負人として、代金九一六、〇〇〇、〇〇〇円、工事着手の時期同年八月一日、建物完成引渡の時期昭和三〇年三月三一日と定めて鉄骨鉄筋コンクリート造地上九階地下三階の「梅田ビルデイング」と呼称する建物の新築請負契約を締結して右土地の占有を竹中工務店に移転し、竹中工務店は右地上において請負にかかる前記建築工事に着手するに至つたので、被控訴人は梅田振興に対し本件土地の占有回復を求めて訴を提起し、また梅田振興、梅田ビル及び竹中工務店を相手方として仮処分命令の申請をした。

以上の事実が認められ、右仮処分申請につき係争中昭和二九年二月二四日付を以つて双方当事者間に示談が成立したことは当事者間に争がない。

そして前記甲第八号証によれば、右示談契約の具体的内容として主要な条項は、(一)被控訴人が梅田振興、梅田ビル及び竹中工務店を相手方として係争中の訴訟事件一切(大阪地方裁判所昭和二六年(ヨ)第一四四〇号仮処分申請事件、同仮処分命令の承継執行文付与申請事件、同裁判所同年(ワ)第三六七三号詐害行為取消、占有回収請求事件、大阪高等裁判所昭和二八年(ラ)第一一五号仮処分申請却下決定に対する抗告事件)を昭和二九年二月末日限り取り下げ又は執行を解放すること。(二)梅田振興・梅田ビル及び竹中工務店は連帯して被控訴人に対し、被控訴人が右(一)の条項を履行すると同時に金八〇〇万円を銀行保証小切手で支払うこと。(三)被控訴人は右(二)に定めたところによる以外には梅田振興外右二社に対し大阪市北区梅田七番地の三及び六の梅田ビルデイング建築用地に就いて今後裁判上裁判外を問はず財産上一切の請求をなさないこと。(四)当事者双方は相互に本件に関し相手方の名誉や信用の毀損に亘る行為を一切しないこと。(五)被控訴人が(一)に定めるところをその所定期間内に履行しないときはこの示談契約は即時当然にその効力を失うこと。というにあつたことが認められ、右(二)の条項に従い被控訴人が金八〇〇万円の交付を受けてこれを受領したこと、並びに竹中工務店が被控訴人との前記紛争の解決により引続き前記請負契約に基く建築工事を施行して計画通り梅田ビルデイングを完成したことは当事者間に争がない。

本件土地の帰属に関する右認定の事実の経過によれば、被控訴人は賃貸借契約締結の当初以来引続いて本件土地の直接占有はもとよりその間接占有をも取得したことがなかつたものと認められる。

第九、控訴人の本件土地引渡義務履行の能否。

前記第八に認定した事実の経過に基いて、控訴人自身による本件土地占有の回復若しくは社会観念上その回復が可能と認められるべき事情の存否を検討すれば、本件土地の中前記のA・B・C・Dの建物建築に使用されている部分約二五〇坪については、控訴人において朴漢植との間に建物所有を目的とする賃貸借契約を締結し、これに基き朴が前記のとおりその地上において建築に着手した当時には、控訴人は朴漢植の直接占有を介して空地の状態に在る右土地の間接占有を有していたものと認められるから、朴漢植において現にその建築を終了するまでは、控訴人においてその直接占有を回復してこれを被控訴人に移転することが可能であつたものと認められる。

したがつて控訴人の被控訴人に対する賃貸土地引渡義務は、右の二五〇坪の範囲では、被控訴人に前記委任の履行を期待しえないことが明らかとなつた昭和二二年一月一八日以後、朴漢植が右地上における建築に着手した同月末日頃までの間、その履行期が到来したものというべきこと前記第七に説明したところによつて明らかであるところ、朴漢植が前記のように右地上に木造店舖数十戸を建築し、朝鮮人が現にこれに居住営業するに至つたのであるから、爾後は控訴人の方で右土地部分を空地の状態に還元して借主たる被控訴人に引渡すことは、未だ必ずしも絶対的に不能な給付とはいいえないけれども、なお法律上事実上多大の困難の存することは朴漢植の側における前記認定のような本件土地使用の目的に照らして明らかであつて、むしろ社会観念上は給付不能と認めるのが相当である。しかしながら控訴人と被控訴人の間において、本件土地の中先ず右の二五〇坪の部分のみを他の部分から分離してその引渡をしても、右二五〇坪だけでは被控訴人において本件賃貸借をした目的を全然達することを得ず、したがつて二五〇坪の引渡は到底契約の本旨に従う履行と認め得られぬこと、本件契約条項自体、成立に争のない甲第一二号証の一乃至一一及び原審と当審における被控訴人本人尋問の結果(前記及び後記の措信しない部分を除く)、並びに弁論の全趣旨に照らして明らかであるから、右二五〇坪の部分のみを分離して観察すれば、朴漢植が同地上の建築を了はり、これに朝鮮人を収容し始めた昭和二二年一〇月末頃には、賃貸借契約に基きこれを被控訴人に引渡すことは不能に帰したものと認めることができるけれども、未だこれをもつて本件契約の履行がその一部にせよ不能となつたものと解することを得ない。蓋し契約上の債務の一部の履行不能といいうるためには、その前提として、債務の目的たる給付が可分であり、その部分的給付によつてもその限度では契約の目的が達成せられるものであることが必要と解せられるのであり、性質上可分の給付もそれが或る一定の数量や範囲や程度に達すれば少くともその限度では契約の目的が達せられるべきも、右基準に達しなければ全然契約の目的が達せられないと認められる場合には、右基準以下の部分的給付をしてもこれを当該契約の一部の履行とはいうことができないからである。

これに対して右二五〇坪の部分を除いた本件土地中の西寄りの部分約五五〇坪については控訴人において、遅くとも朴漢植が右二五〇坪地上における建築を完了するにより使用貸借の目的を達し且つ地上の朝鮮人も立退いて略完全に空地状態を回復したものと認められる昭和二三年四月末頃には、朴漢植から容易にその引渡返還を受け得たばかりでなく、昭和二三年八月末頃以降遅くとも同年一一月末頃には朴から現に右五五〇坪の部分の返還を受けて控訴人がその直接占有を回復したこと前記第八に認定したとおりであるから、賃貸借契約に基く目的土地の一部として右土地を借主たる被控訴人に引渡すことはもとより可能であつたものというべきところ、原本の存在と成立に争のない乙第五号証、前記乙第七及び第八号証、成立に争のない甲第九号証の一、二及び甲第一〇号証、原審及び当審における証人浦谷清、坂本義教の各証言、並びに原審における証人李永文及び康権平(第一、二回)の各証言と原審における被控訴人本人尋問の結果の中いずれも前記及び後記の措信しない部分を除いた各一部、当審における控訴人本人尋問の結果の中前記及び後記の措信しない部分を除いた一部を総合すれば、被控訴人としては本件土地中右五五〇坪の範囲の土地だけでもその計画の国際会館建設用地としての需要を充たすに足り、本件賃貸借契約をした目的の最少限度は達することを得るものであつたから、前記第四において認定した昭和二二年一月一八日の会談以後も、当初契約締結を斡旋した坂本義教及び浦谷清に対し右五五〇坪の引渡と爾余の約二五〇坪の部分に対する既払賃料の返還を求める旨の意向を明かにして控訴人との間の斡旋を申し入れ、被控訴人の右意思は坂本及び浦谷両名から控訴人に伝達されていたのであり、また被控訴人が控訴人に宛てて発信した昭和二四年一〇月四日付書留内容証明郵便による通知書(同月一三日に控訴人に到達している)中にも右意思が表明せられているばかりでなく、更にそれ以後に至つても右五五〇坪の部分を目的とする権利保全を目的とする仮処分命令の申請をした事実を認めることができるのであつて、右認定の事実に徴すれば、被控訴人としては終始本件賃貸借の履行としては控訴人が少くとも本件土地の中右五五〇坪の部分だけでも引渡すならば、それが当初の契約所定の面積に二五〇坪不足することを理由に契約の履行としてこれを受領することを拒むようなことはなく、むしろ五五〇坪の部分だけでも早急の引渡を要望し、たかだか残余の二五〇坪分に相当する既払の六ケ月分賃料額の返還を要求するに止める意向であり、控訴人も被控訴人の右意向を認識していたものと認めるに足りるし、また右五五〇坪の引渡が客観的に見ても本件契約の適法な一部履行となすに足りる給付であり得ることは契約の趣旨自体に照らして明らかである。したがつて控訴人は本件賃貸借契約に基く目的物の引渡として右五五〇坪につき、前記第八に記載したとおりその引渡が可能となつたものと認められる昭和二三年四月末日以降自らその占有を被控訴人に移転しなければならないというべきである。控訴人が若し前記のように二五〇坪の引渡が不能となつたと認められる昭和二二年一〇月末日以前に右五五〇坪の部分のみを二五〇坪の部分とは分離して被控訴人に引渡したならば、本件契約はその限度において適法な一部履行がなされたものといい得るであろう。そして右二五〇坪の部分については前記のように昭和二二年一〇月末以降は引渡不能に帰したものと認められるのであるから、爾後に本件契約につき有効な履行行為たり得べきは唯右五五〇坪の引渡あるのみと解せられるのであつて、右五五〇坪の部分までも亦引渡不能に帰することがあれば、本件契約はその時に至つて始めてこれに基く目的土地の引渡義務の全部につき履行不能に確定したものといわなければならない。

そして控訴人が売買に因り右五五〇坪の所有権を梅田振興に譲渡しその登記を経由し且つ右土地を梅田振興に引渡したこと前記第八に認定したとおりであり、右認定の事実によれば控訴人が右五五〇坪の土地を被控訴人に引渡すべき義務は、梅田振興に対する土地の引渡を完了し更にその後前記のように登記をも移転した日たる昭和二四年四月三〇日に履行することが不能に確定したものと認めるのが相当である。右履行不能につき債務者たる控訴人の側に少くとも過失の存することは前記の認定事実や説明によつて自ら明らかと認められる。

第一〇、控訴人の過失相殺の主張について。

本件賃貸借契約に基く控訴人の本件土地引渡義務を履行不能に帰せしめた直接の原因が、前記五五〇坪の土地を目的とする控訴人と梅田振興との売買の締結とその履行にあると解せられること前記第九の説示によつて明らかであるところ、控訴人の側で本件賃貸借契約にも拘らず右売買をなしたのは、前記第四記載のように二〇〇坪の地上に収容すべき朝鮮人世帯数に関して生じた紛争の協議解決を意図した昭和二二年一月一八日の会合も結局物別れにおわつたために、控訴人において本件土地整理の早急実現に焦慮するの余右会談の席上における被控訴人代理人金秉訓の発言の一端を捉え自己の有利にのみその趣旨を臆断しこれを以つて本件賃貸借解除の意思表示と解したことに基因するところ、当日の会談の経過に関する前記第四の認定事実によれば右発言を賃貸借の解除の申込と解すること自体が客観的に著しく失当と認められ、右契約の合意解除があつたものと認められぬこと前記第四及び第五に説示した如くであるし、前記会談の日以後右売買をなした日までの間において、被控訴人の過失に基き右売買をなさしめるについて原因を与えた事実の存しないことは前記第八において認定した事実の経過と弁論の全趣旨に照らして明らかである。したがつて本件賃貸借契約の履行不能に基く控訴人の損害賠償責任の成立につき被控訴人側には何等過失の責むべきものはないといわなければならない。

第一一、本件土地の引渡不能に因る被控訴人の損害と控訴人の賠償義務の範囲及びその数額。

借主たる被控訴人が、本件土地の引渡不能の確定した昭和二四年四月三〇日以後本件口頭弁論終結の日に至るまでの間において、本件賃借権が有したるべき取引上最高の価格をもつてこれを他に譲渡したことが確実であると認めるに足りる格別の事由は全証拠資料を以つてしてもこれを認めることができず、却つて被控訴人はこれを他に処分しなかつたであろうことがその主張自体によつて窺はれるから、本件土地引渡義務の履行不能の場合における履行に代わる損害賠償の範囲はその履行が不能に確定した時における債務の目的物の価格を基準としてこれを算定するのが相当である。本件土地の賃貸借に基く控訴人の土地引渡義務履行不能により借主たる被控訴人に賠償せられるべき損害は履行不能に確定した前記登記の日たる昭和二四年四月三〇日当時の本件土地賃借権の価格によつて算定すべきものである。但し被控訴人は本訴において賃借土地八〇〇坪の中の西寄りの七〇〇坪の賃借権の価格相当の賠償を求めているのである。

なお右損害算定の基準時を昭和二九年四月末日とする被控訴人の主張は引渡義務の履行不能となつた時期を竹中工務店がその請負にかかる前記梅田ビルの建築工事着手の時に在りとするによるところ、右履行不能の確定時期は前記第一〇に記載したとおり右五〇〇坪につき梅田振興にその引渡を了して登記を移転した日と認めるべきものであるから被控訴人の右主張は理由がない。

そして当審における鑑定人中西兵二及び勝清一の各第一、二回並びに鑑定人山根恭治郎及び小出憲の各鑑定結果、当審における鑑定証人山根恭治郎及び小出憲の各証言と弁論の全趣旨を総合すれば、昭和二四年四月三〇日当時における本件土地中七〇〇坪分の賃借権の一般取引上の価格は金九七九万一、三〇〇円と認めるのが相当である。

これに対し控訴人は本件土地中西寄りの約五五〇坪の部分の占有権に基く被控訴人と梅田振興・梅田ビル及び竹中工務店との間の紛争に関し当事者間に成立した示談契約に基いて被控訴人は右竹中工務店等に対し爾後右土地の占有権を主張しないことを約定し、その代償として示談金名義で右三社から連帯して金八〇〇万円の交付を受けて受領しているからその限度で本件賃貸借の履行不能による損害は既に填補されて客観的に存在しないと主張し、被控訴人は控訴人の右主張をもつて時機に遅くれた防禦方法としてその却下を求め、右事実の提出が許されるとしても、被控訴人と竹中工務店等との紛争はもつぱら前記土地の占有権に関し、本権たる賃借権には無関係であるから控訴人の主張は理由がないと抗争する。

控訴人主張の右事実が当審第一五回口頭弁論期日(昭和三一年八月二三日午前一〇時)に至つて始めて提出せられたことは記録上明らかであるが訴訟審理の経過に照らし右防禦方法の提出によつて特に本件訴訟の完結が遅延せしめられるものとは認められないから右事実の提出を許し、これが却下を求める被控訴人の申立は採用しない。

そして前記第八に認定説示したとおり、被控訴人と竹中工務店等との間の本件土地中西寄りの部分約五五〇坪に関する紛争は同地上において現にビルデイングの建築工事を施行して土地を直接占有している竹中工務店、土地所有者梅田振興から賃借し竹中工務店に右建築工事を請負わせて右土地を間接占有している梅田ビル並びに右梅田振興の三社に対して被控訴人が右土地の占有権を主張しその占有回復等を求めることを内容とするものであつたけれども、被控訴人の主張する占有権が、控訴人との本件契約に基く賃借権をその本権とするものであることは前記認定を通じて明らかであり、若し竹中工務店等に対する右占有権の主張が是認せられ、被控訴人において右土地の占有を取得し得たとするならば、その場合における占有は少くとも控訴人に対する関係においては、正に被控訴人主張の本件土地賃借権の行使であり、賃借権の内容の実現であり、賃借権の本来的内容たる物の使用収益という財産的利益の享受たる意味を持つものに外ならないものと解せられる。ところで一般に目的物を占有することに依つてのみ本来の権利内容の実現享受が可能な有形物の用益権(目的物を占有することが権利の発生存続の要件とせられている質権等の権利又は目的物の占有を権利の一内容として含む所有権等も同様に考えられるべきであるが、本件は賃貸借を権原とする占有に関するから差し当り用益権の範囲で考察する次第である。)においては、権利者が目的物上に有する占有権は、もとより法律上本権たる用益権自体とは別個独立の権利であつて、その発生、存続、取得のためには必ずしも当該用益権の存在を要件とするものでないけれども、このような法律上の相互独立性にも拘らず、一箇の物についての財産的利益や経済的価値の実現享受という経済上の目的実現の関係において観察すれば、占有権は機能的には本権の内容的実現を維持確保するための暫定的応急手段的な性質を有するものと認められるのであつて、本権たる用益権の内容をなす各具体的形態の財産上の利益(目的物自体の本来的用法に従う使用によつて直接享受せられる価値、若しくは対価たる金額価値に転換せられた使用価値の収取、質権等目的物の占有を必要とする担保物権においてはその交換価値の把握、所有権の場合には目的物につき成立するあらゆる形態における経済上の価値の支配)の外に、これとは独立して存在する別個の財産上の利益に向けられた権利として別個の財産権たる占有権が独立に成立存在するものとは解せられないのである。したがつて現実に用益目的物の占有を有している第三者に対し、用益権者において、将来に向つて自己の占有権を主張しないこととし、その代償として現実の占有者より金銭の給付を受けるならば、その金銭給付は経済上その用益権の内容たる利益や価値の代位物と認められなければならない。前記認定の理由と趣旨をもつて被控訴人が竹中工務店等から交付を受けた金八〇〇万円は、その範囲において本件土地賃借権に代わるものとして性質上当然右賃貸借の履行に代わる損害賠償の範囲より控除せられるべきものといわなければならないから、結局控訴人は本件土地賃貸借契約に基く土地引渡義務の履行に代わる損害賠償として、被控訴人に対し金一七九万一、三〇〇円を支払うべき義務があり、その履行期は昭和二四年四月三〇日に到来したものというべきである。

第一二、結論。

以上第一乃至第一一に説示したところによれば、本件賃貸借契約に基く被控訴人の賃借権確認の請求を認容した原判決は正当というべきであるけれども、被控訴人は当審の昭和三三年三月一五日午前一〇時の口頭弁論期日において、付帯控訴に基き、従前の賃借権確認の請求を変更して控訴人に対し本件賃貸借契約の履行不能に基く損害賠償を請求する旨陳述し、右陳述は右賃借権確認の請求については本訴の取下をする趣旨であることが明らかであるところ、控訴人はその後三月内に右取下に対し何等の異議を述べず、もつぱら変更後の損害賠償請求の当否に関し弁論したことが記録上明らかであるから、控訴人は右取下に同意したものとみなされ、被控訴人の本件土地賃借権確認請求の訴は既に取下によつて終了したものというべきである。したがつて本件控訴の当否については判断を要しない。そこで被控訴人の付帯控訴に基く請求はその中控訴人に対し金一七九万一、三〇〇円並びにこれに対する履行期以後なる昭和三一年三月一五日以降右完済まで年五分の民事法定利率による遅延損害金の支払を求める限度においてこれを正当として認容し、その余は失当として棄却すべきものであるから、訴訟費用の負担に付民事訴訟法第八九条第九二条仮執行宣言に付同法第一九六条を各適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 山崎寅之助 山内敏彦 日野達蔵)

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